哲学:大数の法則と人生の歩み方。

統計学では、大数の法則というものがあります。
例えば、サイコロを1回や10回とか少ない試行数の場合、2や5や6等、特定の数に偏った目が多く出たりしますが、この試行数を1000回や1万回とかより多く行っていくと、各々の数の出目確率である、1/6に従い、1.2.3.4.5.6の出目の数が、ほぼ同じになります。これは、概念上のものではなく、実際に1万回以上、実際にサイコロを投げて、その出目を確認することも行われており、その全てが確率に収束しているようです。

 

著者:サイコロの出目が、回数が多くなればなるほど、その確率、出るべき回数が結果的に出てくるというのは、何か大自然のというか、大宇宙のというか、大いなる真実、真理が背景になるように思えてならないのですが、どう見ますか。


ソクラテス:そうだね。最後には真実が顔を出す。結局、最後には本物、真実が残る。というような言葉が連想されることであるね。


著者:アマチュアとプロが混じって行う、ゴルフや麻雀などにおいて、1回や2回程度の試行数である場合、アマチュアが勝つこともあるでしょうけれども、その試行数が多くなればなるほど、プロの足元にも及ばない程の勝利数の差を見せつけらえることになるでしょうね。実際は、それほど何回も試行しないため、たまたま勝ったアマチュアがプロに勝ったと言って、一時の悦に入る、ということにはなりますが、本当にそれは一時の喜び、カスかな喜びに過ぎないですね。


ソクラテス:うむ、まあ、そのようなたまたま勝つ、たまたま得る、というような一時の喜びだけを得て満足することで十分だと思うのであれば、それはそれで否定することではないし、本人の趣向もあるだろうから、止めはしない。ただ、その喜びは、一時的なものである。つまり、喜ぶことの出来る回数、喜び量はとても少ない。


著者:ええ、たまたま、と言っている以上、1回喜んでも、その次喜ぶ事が出来るまで、多くの時間を要することは想像できますし、きっと本人も、次の喜びを感受できるまで、多くの時間が掛かるのだから、一時だとしても今の喜びを嚙み締めようとするでしょうね。


ソクラテス:うむ。一時の喜び、少ない回数の喜びよりも、多数の喜びの方が良いだろうか。


著者:はい。それはもちろん、喜びは嬉しいことであり、幸せを感じる事が出来るのですから、誰もが、多数の多量の喜びを得たいと思っているはずです。


ソクラテス:では、大数の法則に絡めて、多くの喜びを得るには、どのようなアプローチが良いのか考えていくことしてみよう。


ソクラテス:まず、結論を分かり易くするために、2つの前提で各々考えていこう。一つ目は、サイコロ試行のように、1回目の試行からずっと生じる確率が変わらない場合だ。二つ目は、試行回数が増えれば増える程、スキルアップして、生じる確率、勝率が上がっていくという場合だ。


著者:はい。確かに現実的には、試行回数が増えれば増える程、スキルアップして勝率が上がっていくと思いますが、一旦分けて考えることで分かり易くなるかもしれないですね。


ソクラテス:うむ。では、一つ目の試行回数が増えても確率が変わらない場合についてだが、これは、とにかく試行回数を増やすことで、元々の確率に収束していくことで、確率に応じた一定の勝ち、喜びを得る事が出来る。


著者:はい。ここで知見はどのようなことなのでしょうか。


ソクラテス:多くの人は、1回や2回、10回や20回と試行回数を続けても、失敗し、嫌な気持ちを感じて、ああ、もう嫌だとばかりにそれ以上試行をしようとしない。


著者:はい。やってもやっても、成果が上がらなければ、それ以上やろうとは思わないものです。


ソクラテス:しかし、一定の成功確率が元々あるのであれば、試行回数を増やせば増やすほど、少数の試行回数のブレが収束していき、試行回数が多数となってくると、確率に基づき、一定の勝ち、喜びを得る事が出来る。


著者:つまり、一定の確率が想定されているのであれば、少数の試行回数での失敗で諦めずに、そのままやり続けよう、ということになりますか。


ソクラテス:そうだ。多くの人は、短期的な成果を追い求め過ぎており、少し挑戦して、失敗して、次も少し挑戦して、失敗してということを繰り返し過ぎていると思う。色々なことに挑戦して経験するという点においては、それなりに意義があることではあるが、今回のことのように、試行回数を増やして、つまり、一つのことに集中して継続して取組、一定の成功、勝ち、喜びを得るということもとても重要なことであり、この感覚は、人生においてきっと役立つ、重要な経験になるだろうと思う。


著者:はい。人生という点で言えば、物事に対して、つまみ食い的に、飽き性では、一定の成果が上がらないというのは、感覚的にも分かりますね。一定以上の成功、勝ち、喜びを得るためには、腰を据えて、失敗しても、何とかやり続けることで、何となく運が向いてくるようになって、一定確率が段々と収束して、安定的に喜びを得るようになるものだと私の経験からも思いますね。


ソクラテス:とかく、若いうちは、色々なことに対して、興味を持ち、刺激的に映るため、中々、一つのことをし続けるということが難しいと思うが、若いうちから多くの時間と労力をある一点、あることに費やしていくと、段々とその成果が現れてくるものである。色々なことに興味を持って良いし、飽きたら次のことに挑戦することも良いと思うが、その一方で、並行して、何か一つのことでも継続的に取り組んでいるということを見つけて、欠かさず行っておくことがいいだろうなあ。


著者:はい。確かに、何も1日に1つしか挑戦できないわけではなく、2つ3つと並行的に挑戦して、その内、1つくらいは、ずっと継続して行っているものを含ませてもいいですよね。他の挑戦をしながらでも、工夫すれば、きっと両立しますよね。そして、それがいつか、確率が収束して花開き、大きな喜びを得ること、その基礎になっていることもあったりしますね。


ソクラテス:そうだ。


著者:ところで、この試行回数を増やす、やり続けるという点においては、精神的な部分はどのようなことが考えられますか。


ソクラテス:まあ、何となく続けるというのも、一つだろうが、まずは、そのことを好きになることだろうなあ、好きな部分を探したり、好き、好ましいと思うことだろうなあ。あとは、自分自身を信じること。今回のように、やり続けることで確率が収束して、一定の成功が得られるという知識を基礎に自分を信じることだろうなあ。


著者:私は、とにかく、一定の確率が保障されているものについては、まあ、楽しければ一番良いのでしょうけれども、とにかく、あんまり難しいことを考えずに、やり続けるということが正解のような気がしますね。やってさえいれば、勝手に確率が収束して、徐々に喜びを得る事が出来るということですから。


ソクラテス:まあ、そういう言い方もできるだろうね。


著者:この大数の法則、確率が収束するというのは、長い人生の中できっと重要な知恵なんだと思いますね。長い時間があるということは、試行回数を限りなく多く行う事が出来るということであり、自分の好ましい人生や生き方に対して、確率を収束させ得ることができるということであり、それは人生において大きな、安定的な喜びを得ることに繋がることだろうからです。


ソクラテス:うまくまとめたね。その通りだ。


ソクラテス:さて次に、サイコロの出目のように当初から確率が一定ではなく、試行している内に確率が変動していくことについて、考えてみようか。


著者:はい。きっと、このケースの方が現実世界に即していると思いますね。もちろん、最初から確率が決まっている点の考察も重要であり、それを基礎に、応用的に考えていくということですね。


ソクラテス:うむ。


ソクラテス:このケースでも、試行数を増やしていくことは変わりがないが、当初は成功確率が低い状態から、徐々に成功確率を上げていくための工夫が必要になる。


著者:ええ、そうですよね。先ほどの例では、最初から一定の確率、ある程度の確率が設定されていますが、今回というか、通常は当初において、成功確率は低いものですから、ただ先ほどの例のようにただやる、ただ闇雲に試行するというのは、筋が悪いような気がしますね。


ソクラテス:そうだ。だから、試行数を重ねるごとに、今回の試行は成功確率を上げるために適切であったか、もっと良くするためにはどうすれば良いのかなどのように、なるべく都度反省し、そして次の試行のために改善、修正する、方向性を見直す、ことが必須となる。


著者:失敗は成功の元というように、試行ごとに改善していって、徐々に成功するための条件と言うか、要素というか、スキルや知識などを付けていくことですね。


ソクラテス:うむ。そういう過程を通じて、成功確率が徐々に上昇していく。試行回数を増やしつつ、成功確率を上げつつ、また、試行回数を増やしつつ、また、成功確率も上げていく。というような事の繰り返しをすることで、最終的に高い成功確率が収束していき、実際に成功、喜びを感じる事が出来るようになるのだ。


著者:なるほどですね。